亀田鵬斎書看板

時代区分近世
和暦(近世)
形態看板
法量縦61.1 横43 厚さ3
内容に関する情報この看板は、現在も春日部市内で営業しているカネコ薬局にかけられていたものです。金子家は代々七右衛門と名乗り、元禄時代、初代七右衛門が粕壁宿にて薬屋を創業しました。大正時代には粕壁に開園した「国立薬草園」の創設に十二世七右衛門が携わりました。
書は江戸時代後期の儒学者としても有名な亀田鵬斎によって書かれたものです。鵬斎が病気になった際に宿泊させたことがあり、そのお礼として書いてもらったものであるといわれています。書は草書体で書かれたもので、「家伝 たんせきのくすり 鵬斎老人書」、現代語に直すと「家伝 痰咳のくすり 鵬齊老人書」と書かれています。
看板の左下には「下界★仙人」(げかいこうせいにん。★は病垂れに缶という字)「麹部尚書」(こうぶしょうしょ)と書かれた落款が押されています。「麹部尚書」とは「工部尚書」をなぞらえたものではないかと考えられています。
具体的な年代は不明ですが、18世紀頃のものと思われます。
資料ID4358

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