略歴・解説
両親は教員、柏崎尋常高等小学校高等科へ進みテニスに没頭。新潟師範学校時代に洲崎義郎の招きで柏陽倶楽部や早稲田大学の部員と練習、指導も受ける。比角尋常高等小学校教員後、東京高等師範学校(現筑波大学)へ進み、夢を世界に向ける。昭和2年から4年間英国へ留学し、円熟期を迎える。デビスカップに4年連続出場、世界大会4ゾーンの米国や欧州で優勝や決勝進出を果たし、昭和6年国際テニスクラブ名誉会員となる。戦後東村山市に転居。郷里を敬愛し太田杯を寄贈、柏崎の庭球熱を高め、昭和51年東村山市とスポーツ姉妹都市の提携。平成8年には一般姉妹都市へと発展し、後に東村山市名誉市民となる。