洲崎 義郎

資料名よみすのさき ぎろう
分類(ぶんるい)人物
人物(じんぶつ)太田 芳郎
校区(こうく)比角小学校
解説(かいせつ)代々大地主、伝吾の長男。早稲田大学に学ぶ。テニス愛好家の柏陽倶楽部を創設。大正7年29歳で2期8年比角村村長に就任。36歳前後は県の青年団副団長、県体育協会副会長となる。大正~昭和初年、比角小学校で自由画教育を奨励。また洋画家の中村彝や苦学生への援助をする。昭和20年敗戦後、戦時中の青年団活動を厳しく反省し、世界平和運動へ進む。昭和26年から2期8年の市長在任中、東北7県市長会議で原水爆使用禁止を訴える。昭和38年県原水爆禁止協議会理事長となり、翌年ソ連(ロシア)での「軍縮と平和世界大会」に出席。幅広い活動分野で私利私欲のない理想に燃えつづけた人である。

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