青山 瀬兵衛

じんぶつ名(ヨミ)あおやま せべえ

略歴・解説

 青山瀬兵衛は江戸時代の前半、柏崎の橋場町陣屋に務めていた高田藩の刈羽郡奉行。治水に関する数々の事績で知られ、とくに正保元年(1644)に着手した藤井堰と鵜川の工事は有名である。  藤井堰は新しく分水路を掘割するもので、10年もの大工事となり、承応3年(1654)に西江東江として完成した。また、堰の構造も従来の川底に杭を打って土俵を積み上げた草堰から、増水にも強固な階段状の鎧堰へと変更したと伝わる。一方、鵜川の工事は川尻をより西側へ、番神に近い三ツ石へと切り替えるものだったが、風波のために上手くいかなかったという。  高田藩主の松平光長が改易されても平井村の高野家にとどまり、元禄2年(1689)87歳で病死した。福勝寺に墓があり、その命日には農民は仕事を休んだとも伝わる。

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