略歴・解説
大正11年比角尋常高等小学校5年の時、県下少年オリンピック大会で、総合優勝の立役者となる。柏崎中学校時代の近県中学校競技大会では4種目に優勝する。慶応大学時代は箱根駅伝に連続出場。昭和10年全日本陸上競技選手権大会3千メートル障害で優勝、オリンピック代表となる。三越百貨店、中国北京電気会社に勤め、帰国後柏崎市役所に入る。日本陸上連盟理事、新潟県国民体育大会総監督など体育関係の要職に推され、生徒・教師の実技指導にも当たる。それらの功績で栄誉である秩父宮賞を受ける。昭和54年小林市政を継承。2期8年、柏崎市長として細心大胆に活力ある都市づくりのため重責を果した。