坂田 四郎吉

資料名よみさかた しろうきち
分類(ぶんるい)人物
人物(じんぶつ)今井 哲夫/洲崎 義郎/二宮 伝右衛門
校区(こうく)鯖石小学校
解説(かいせつ)鯖石尋常小学校(現鯖石小学校)卒業後、明治42年同校で代用教員。脆弱な体を体操で鍛え直し、教員検定や体操専科検定に合格。大正5年29歳の時、柏崎尋常小学校(現柏崎小学校)へ転任。大正10年柏崎日報で柏崎にグラウンド建設を訴えたところ全町民の誹謗を浴びた。しかし一農村青年の勤労奉仕申し出を契機に期成同盟会も結成され大口寄付も集まり、大正12年多数の青年達のボランティア活動を主軸に完成をみ、体育都市柏崎の礎を築いた。また朝起体操会や体育民踊、マスゲームなども推進した。教職離職後もグラウンド管理や社会体育の普及に努め、再度の文部大臣賞などを受けた。昭和36年財団法人坂田体育研究所が設立され、三男郁男に継承された。

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