略歴・解説
農家の父久米吉の六男、本名敬二。小学校卒業後の明治43年、一家は田畑を手放し上京する。新聞配達などの末、順天中学校(現順天高等学校)卒業。演歌師となり学資を稼ぎ早稲田大学文科予科に入学。大正7年24歳、浅草で芝居「金色夜叉」が好評なことから想を得て「金色夜叉」の歌を作詞作曲。公園などでバイオリンを弾きながら歌うと爆発的なブームを呼んだ。その後「流浪の旅」、「馬賊の歌」など発表。また熱海市で毎年行われる尾崎紅葉を偲ぶ紅葉祭に招待された。晩年、昭和43年中村哲郎が発起人となり、柏崎青海川の鴎ガ鼻に「金色夜叉」の歌碑が建てられた。この除幕式には74歳の郁芳も列席、故里を愛した姿の最後となった。