略歴・解説
黒めがねとパイプがトレードマーク。幼少より温和で聡明。比角尋常高等小学校(現比角小学校)では主席で通し、柏崎中学時代は三度の飯より柔道が好きで初段となる。早稲田大学卒業時は5段。欧州に柔道普及の夢をもち、23歳の時自ら渡欧後援会をつくり300円を手に入れ渡航費と滞在費を調達する。大正13年(1924)27歳で渡欧。読売新聞支局長松尾邦之助、画家藤田嗣治の後援で柔道場を構える。パリのオペラ座で藤田と柔道の模範試合を披露する。翌日新聞に掲載され、入門者が急増。パリ、エジプト、ルーマニアの警察、体育大学などで指導。海外滞在中骨董収集。パリのサロン絵画展では出品作品が入選し、一躍注目される。柏崎中学時代の柔道の夢を世界に広めた功績は大きい。