略歴・解説
縮商の嘉助の長男、本名加一、雅号は忘庵、溪雨、鉄幹など。5歳で原松洲の門人沢田折枝の寺子屋で習字を学ぶ。10歳で柏崎柳橋の長倉才助塾に漢詩のてほどきを受ける。明治28年29歳で月刊『越山』発行、明治34年東京専門学校(現早稲田大学)政治科を卒業。明治35年週刊『中越新聞』、明治38年『柏崎日報』、明治44年『越後タイムス』など創刊。明治末年より十数年間日本石油社員となり、日石30年史を編集。大正3年頃篆刻を始める。篆刻は徐々に周知され全国一流人の中に選ばれる。戦後の後半生は随想・書・篆刻のほか陶芸・骨董・マージャンなどに傾倒。地元はもとより広く文人・知識人芸術家と親交を結び異才を放つ。