篠田 宗吉

じんぶつ名(ヨミ)しのだ そうきち
出身地上越市柿崎区
生年月日(西暦)1827
生年月日(和暦)文政10年
没年月日(西暦)1903
没年月日(和暦)明治36年

略歴・解説

名棟梁と誉れの高い4代目宗吉善則は柿崎町相沢彦作の三男。新町(西本町3)篠田家に婿入、修業熱心で腕前も上達、余芸に俳句をたしなみ大宇と号した。建立した社寺は、柏崎では番神堂・妙行寺・閻魔堂・光円寺・八坂神社・宮川神社などがあり、刈羽村の東福院、京都の東本願寺のほか高田、出雲崎、北海道にもある。晩年は函館高竜寺本堂を建立した。その時の副棟梁は沢田吉平、彫刻は原篤三郎、金子九郎次、石工は小林群鳳ほか多数の職人が活躍し、柏崎で木材を刻み北前船で運んだ。一行は本堂完成に心血を注ぎ竣工式は感慨無量であったと推測される。名棟梁宗吉を讃える一節は柏崎の民謡三階節にあり、その顕彰碑は八坂神社に建つ。

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