略歴・解説
角次の長男。二田尋常高等小学校時代は成績優秀、体力・知力・胆力にも優れ主席で通す。柏崎の県土木出張所に勤め、16歳で上京。苦労し中央工学校土木工学科を終え、建築設計事務所をへて独立。理化学研究所長大河内正敏博士の知遇を得る。昭和20年敗戦後政界を志す。昭和22年、第23回総選挙で衆議院議員に初当選。幹事長、郵政大臣、大蔵大臣などを歴任する。昭和47年自民党総裁、戦後第6代内閣総理大臣となる。歴史に残る日中共同声明に調印、国交回復を成しとげる。「日本列島改造論」では地域格差の解消を目指すプロジェクトが作成され、上越新幹線や北陸自動車道などの整備や大企業の地方移転を実現。故里を愛し、雪に耐え苦しむ越後の人達の姿が心にあったのだろう。