略歴・解説
本名佐太郎、俳人内藤鳴雪の門人で鳴秋と号す。小学校卒業後商家に奉公。貿易会社に勤め、20歳の時童話に応募し入選。清水かつららとともに雑誌(少年号・少女号)を刊行。「お山のお猿」「浜千鳥」などを発表。「浜千鳥」は大正8年6月、鳴秋が友人桑山太市朗を訪ね、柏崎海岸から番神岬を散歩した時作ったもの。出版社を起したが失敗。満州へ渡り新聞社学芸部長となるが、敗戦で引き上げる。戦後は学校音楽劇の創作に活躍する。なお「青い月夜の浜辺には」の歌碑は昭和36年建立、鳴秋未亡人を市内海岸公園に招き除幕式を挙行。現在はみなとまち海浜公園に移設されている。