略歴・解説
文右衛門の長男。名は禎治、通称保信、雪斎と号す。下田尻村の黄金屋・植木彦吉の算学塾に入門。彦吉は禎治の才能を惜しみ、小千谷の佐藤雪山に教育を託す。道場には秀才が集い、4年間の勉学は見事に開花する。帰郷して結婚。「算学道法則」の額を掲げ開塾し、後進を育てる。雪山没後、遺志を継ぎ禎治を主筆に『通機算法』を著す。35歳~50歳の社会活動を見ると小千谷民政局、柏崎県学校教師、地租鑑定人、曽地峠工事、米山新道の工事を担当。学問評価では晩年帝国学士院より蔵書調査。佐久間象山補筆の『八分円機』と雪山の『円理算法の解』など4冊を帝国学士院に寄付。その後全蔵書を寄託し、永眠する。