橋本雅邦

作家名(ヨミ)ハシモトガホウ
作家名(英語)Gaho HASHIMOTO
生年月日(西暦)1835
没年月日(西暦)1908

略歴・解説

日本画家。幼名千太郎、のち長卿と称す。勝園、克巳斎、酔月画生などの別号がある。天保6年(1835)川越藩御用絵師橋本晴園の子として7月27日江戸木挽町にうまれ、明治41年(1908)1月13日東京本郷で没、72歳。弘化4年(1847)狩野勝川院に入門、同じ頃狩野芳崖も入門。明治4年(71)より海軍省に出仕して地図制作などを行う。15年(82)第1回内国絵画共進会「琴棋書画」等が銀印、同2回展に「山水八仙」等が銀賞となる。またフェノロサに認められ芳崖らと鑑画会に参加、第1回展「山駅秋色」が三等賞、2回展「弁天之図」が二等賞を受賞する。22年(89)開校の東京美術学校教諭、翌年教授、帝室技芸員となる。しかし31年(98)美術学校騒動に際し、天心に殉じて同校を辞職、日本美術院結成に参加した。この間、22年「月夜山水図」、翌年「秋景山水図」など代表作を発表、また26年(93)シカゴ万博、33年(1900)パリ万博などにも力作を発表した。36年(03)には川合玉堂と二葉会を創立する。芳崖とともに狩野派最後の大家として活躍、門下から春草、大観、観山、墨仙など俊才を輩出した。

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