エミール・ノルデ

作家名(よみ)えみーるのるで
作家名(英語)Emil NOLDE
生地ノルデ(プロイセン[現デンマーク])
生年1867
没地ゼービュル(西ドイツ[現ドイツ])
没年1956

作家解説

ノルデは、元々エミール・ハンセンといって両親はフリースランドの農民だった。彼の生来の傾向は国家主義的で保守的なものだった。家具のデザイナーとして働いた後1904年ライプツィヒ美術協会が14点の油彩画を展示し、ベルリンのシュルテ画廊やヴァイマールで個展を開いた。1906年愛好家で支持者となるシーフラーと知り合う。ベルリン分離派第11回展に出品。ドレスデンのアルノルト画廊で個展を開き、それを見たブリュッケの画家から加わるよう誘われグループ巡回展に参加した。1910年ハンブルクとエッセンで大規模な個展を開催。国家主義的で民族主義的内容の手紙が原因でベルリン分離派から除名処分を受けるが、新分離派が結成されそれに参加した。1912年「青騎士」第2回展に参加。1913年帝国植民地省による調査団に誘われ南太平洋のドイツ領に派遣された。その主な目的は医学的なものだったが、ノルデは原住民の民族的特徴を調査することだった。翌年にかけてモスクワ、ソウル、東京、北京、南京、上海、香港、パラオ諸島、ニューギニアを訪れている。1914年にはニューアイルランドなどを旅行し、セレベス、ジャワなどを経由している。途中第一次大戦が始まり、デンマークのパスポートで帰国した。彼はこのときの経験をこう語っている。「われわれは邪悪な時代に生きている。そこでは白人が全世界に苦役をもたらしている。」1921年故郷がデンマークに編入された。1932年ノルウェー美術協会による「ドイツ新美術展」に出品。1933年ナチスにより「頽廃芸術」とされ、ゲシュタポによる監視下に置かれた。その間小さな水彩画を描きそれらを「描かれざる絵画」と呼んだ。大戦後そうした「描かれざる絵画」に基づく油彩画を制作している。

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