大和城山

資産概要大和城は大和城山(標高251m)に築かれた中世の山城とされ、天城町誌によれば7人の兄妹のアジ(首長)がいたとされる。玉城(タマグシク)の見張所とも言い伝えられており、その伝承を裏付けるかのように大和城の頂上からは、平土野港や湾屋港などの要所を含む一帯が眼下に見下ろすことができる。
 頂上には軍人山寺と呼ばれる小さな立石を祀った祭場があるが、太平洋戦争時に大和城山の頂部が掘削され戦闘指令所(トーチカ)が構築された際に、現在の位置に移されたものである。また中腹には山寺と呼ばれる、牛馬などに対する祈願所があり、畜産関係者などが今でもお参りに訪れている。
 昭和19年、太平洋戦争の戦局の悪化に伴い、瀬戸内町古仁屋に設置された奄美要塞司令部が廃止され、南西諸島の防衛強化のため奄美守備隊として独立混成第六十四旅団が編成される。その司令部が大和城山東麓に置かれ、大和城山頂部に築かれた戦闘指令所をはじめとして大和城山一帯には多くの軍事施設が構築された。

【参考文献】
小林正秀ほか1978年『天城町誌』天城町役場
高田利貞1956年『運命の島々・奄美と沖縄』株式会社奄美社
小林豊彦ほか1991年『天城町の文化財をたずねて』天城町教育委員会

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