仮面をつける習慣が残るモチタボレ(兼久)

徳之島の 餅もらい行事

遺産名(ヨミ)トクノシマノ モチモライギョウジ
資産概要徳之島の各地で、旧暦七月~十月にかけて行われる餅もらい行事があった。餅もらい行事は元々、旧暦九月~十月にもち米のタネツケ(種もみを水に浸す)や、タネオロシ(苗代に種もみをまく)作業が終わったときに、豊作を予祝(前祝い)するために行っていた。その際に歌われる兼久のドンドン節には「今日(きゅう)の良(ゆ)かる歳(とぅし)に親種(うやだに)ぐゎ浸(ち)きてよ 来年(やーね)の稲様(いにがなし) 畦枕(あぶしまくら)」という歌詞が、今も伝わっていることからも、来年の豊作を祝っていたことが分かる。「畦枕」は、たわわに実った稲穂が頭を垂れ、田んぼの畦を枕にする様子を表す、奄美や沖縄の方言である。後の時代になり、祖霊祭の盂蘭盆会(お盆)や、うるち米の収穫祭アキムチ、正月送りなどと結びついて、いくつかの期日に分化していったと考えられる。

餅もらい行事は流れは概ね、集まった子らが仮面をつけたり風呂敷をかぶって仮装し、集落のヤーマワリ/家々を巡り、門口でドンドン節を歌い踊り、各家では子らの一行を来訪神と信じて餅などを与えて歓待し、そうして集まった餅などを子らで山分けして終了する。子らが家に来ると縁起が良いため、村はずれや、道の悪い家の家主は、一行にお願いしてでも来てもらい、歓待したという。

このような餅もらい行事は、徳之島のみならず、奄美大島や喜界島でも行われていた。名越左源太が幕末に記した「南島雑話」には、奄美大島の餅もらい行事で、子が竹の皮で鬼のような面を作り、仮装する様が描かれている。


下記は、伝承や記録が残っていた各集落の餅もらい行事。(★マークは現在でも行われている行事)

【天城町】
 与名間(よなま) モチタボレ、送り盆と、旧9月(戦前まで二回行われた)。
 松原 モチタボレ、旧八月の種浸けの日。
 前野 ムチタボリ、旧八月の戌(いぬ)の日。
 阿布木名(あぶきな) 調査中。
★兼久(かねく) モチタボレ、旧八月の戌(いぬ)の日。
 大津川 モチタボレ/アキムチ、旧八月の戌(いぬ)の日。
 瀬滝(せたき) モチタボレ/アキムチ、旧八月の戌(いぬ)の日。
 当部(とうべ) アキムチ/ムチムレ、旧八月十五日、十五夜行事の晩。
★西阿木名(にしあぎな) モチタボレ、調査中。

【伊仙町】
★犬田布(いぬたぶ) イッサンサン/アキムチ/ムチムレ、旧八月の戊(つちのえ)の日。
★馬根(ばね) 調査中。
★面縄(おもなわ) タネブシ、旧十月の午(うま)、もしくは酉(とり)の日
 喜念(きねん) タネンブシ、旧九月の丁卯(ひのとう)、もしくは丁酉(ひのととり)のアラシツの4日目。

【徳之島町】
★手々(てて) ムチタボリ/アキムッチ、送り盆
 花徳(けどく) ムチムレ/節句/タネツケ、旧一月十六日。 ※うるち米 
★尾母(おも) アキムチ、旧八月の戊(つちのえ)の日。

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