大和城山の山頂に残るトーチカ跡

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戦闘指令所(大和城山)

名称(ヨミ)セントウシレイジョ(ヤマトグスクヤマ)
中分類戦跡
小分類近代
所在地天城町天城字上名道
時代・年代昭和19~20年
遺産概要この戦闘指令所は太平洋戦争末期に独立混成第六十四旅団(奄美守備隊)が使用したもので、昭和19年8月15日に着任した高田利貞旅団長が徳之島陣地構築のために建設させたものである。いわゆるトーチカで、戦後、高田利貞に記された著書には「直撃の十トン爆弾に堪えるだけの厚さを頂上に残して円筒をたてたような洞窟を造り、四方に天望孔をつけた」とある。しかしながら、現在は北西を見渡す天望孔が1つしか残っておらず、加えてわざわざ爆弾に堪えるための分厚い上部コンクリートを貫いて、上への通路が存在していることから、4つの天望孔のある構造物が、山頂に存在していた可能性が無くはない。戦闘指令伝達のために、内部には有線・無線の電話と電信が設置されていた。なお、東側斜面にある各種施設から出入りするための通路を掘った跡があり、硬い岩盤のため掘削を断念している。
文献・資料〈参考文献・資料〉
●小林正秀ほか1978『天城町誌』天城町役場
●高田利貞1956『運命の島々・奄美と沖縄』株式会社奄美社
●熊本大学文学部考古学研究室1985「周辺遺跡分布調査報告」『玉城遺跡』研究室活動報告19

【旧文書】
 この戦闘指令所は太平洋戦争時に独立混成第六十四旅団(奄美守備隊)が使用したもので、昭和19年8月15日に着任した高田利貞旅団長が徳之島陣地構築のために建設させたものである。
いわゆるトーチカで、円筒を立てたような洞窟を掘り、そこに4つの展望孔が設けられている。その上部はコンクリートによって10トン爆弾が直撃しても耐えられるだけの厚さを備えており、戦闘指令伝達のために、有線・無線の電話と電信が設置されていた。

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