兼久の山寺

遺産概要美名田山麓に登り口がある。「徳之島事情」には兼久の山寺について次のように記載されている。慶応元年、西目間切兼久村上字「モ-ルンツツ」ノ雑木、花徳村母間村人ニ於テ濫伐シテ畑ニ開墾シタル処、何ノ所以カ其年ハ兼久村ノ牛馬ニ限り弊死スルコト日ニ月ニ夥シク、終ニ百余頭に及ブヲ以テ、其村ノ重立者時直政ハ亀津村安住寺に至り、法師の出張ヲ求メ、該悪疫掃攘ヲ為サシメ、「モ-ルンツツ山」ニ秋葉神社ヲ建立シ、更ニ村民ノ氏神トシテ祭ルコトニシ、雑木ノ濫伐ヲ止メタル処、果シテ牛馬ノ弊死全ク止ム。故ニ村民は、毎年ニ、八月飛雁ノ日ハ、酒肴ヲ携へ男女老若拳テ該神社ニ至り、賑々敷祭礼ヲ拳行シ、近年ニ至り他村ヨリモ之ヲ祭ルモノ多シ。
 
戦時中には、出征兵士の武運長久を祈願する場所として利用されていた。

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