下原Ⅳ遺跡空撮

下原Ⅳ遺跡

名称(ヨミ)シタバルヨンイセキ
中分類集落跡
小分類貝塚前期(縄文)
所在地天城町西阿木名下原
時代・年代貝塚時代前4期(縄文後期)・中世
遺産概要【位置と環境】
 遺跡が所在する西阿木名地区は、集落が立地する標高150mほどの高位段丘面と、それよりも60mほど低い海沿いに広がっている段丘面が形成されている。この低い段丘面は通称、下原(シューバル)と呼ばれており、下原Ⅳ遺跡は、この低い段丘面の北側に位置し、その南側には下原Ⅰ~Ⅲ遺跡が立地している。

【調査経緯】
 下原地区に畑の区画を新たに整備する工事が計画され、その工事を実施する前に、工事区域内で遺跡の有無調査を行ったところ、7,500㎡の範囲に遺物が落ちていることが確認された。この結果を受けて、遺物が散布する範囲の北側にあたる下原Ⅳ遺跡の発掘調査が平成9年に実施された。

【概要】
 下原Ⅳ遺跡は貝塚時代前4期(縄文後期)と中世期の生活の痕跡が残る複合遺跡(二つ以上の時期の生活痕跡が残る遺跡)である。
 貝塚時代前4期(3500~2500年前頃)の竪穴住居跡1基と土坑3基が検出し、そこから、石器や土器が大量に出土している。出土した土器は面縄東洞式土器や嘉徳Ⅰ・Ⅱ式土器が主体となっており、石器は木の実などの植物食糧を加工する際に使用したと考えられる、磨石や敲石、石皿が多く出土している。
 中世期(1000~900年前頃)の遺構としては、掘立柱建物跡(柱が地面に埋め込んで固定された建物)が3軒検出している。この掘立柱建物を構成する柱穴からは、滑石製石鍋や滑石混入土器、カムィヤキ、などが出土している。
文献・資料〈参考文献・資料〉
●県埋蔵文化財情報データベースhttp://www.jomon-no-mori.jp/kmai_public/
●黒川忠広2004『下原(Ⅰ~Ⅳ)遺跡』天城町埋蔵文化財発掘調査報告書(3)

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