下原Ⅰ遺跡遠景(東側から)

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下原Ⅰ遺跡

名称(ヨミ)シタバルイチイセキ
中分類集落跡
小分類貝塚前期(縄文)
所在地天城町西阿木名字加万答
時代・年代貝塚時代前4期(縄文後期)
遺産概要【位置と環境】
 遺跡が所在する西阿木名地区は、集落が立地する標高150mほどの高位段丘面と、それよりも60mほど低い海沿いに広がっている段丘面が形成されている。この低い段丘面は通称、下原(シューバル)と呼ばれており、下原Ⅰ遺跡は、この低い段丘面の西側縁辺に位置しており、遺跡の西側は断崖となり海岸へと至る。

【調査経緯】
 下原地区に畑の区画を新たに整備する工事が計画され、その工事を実施する前に、工事区域内で遺跡の有無調査を行ったところ、7,500㎡の範囲に遺物が落ちていることが確認された。この結果を受けて、遺物が散布する範囲の北側にあたる下原Ⅰ遺跡の発掘調査が平成10年に実施された。

【概要】
 下原Ⅰ遺跡からは、竪穴住居跡1基と土坑3基が検出している。検出した竪穴住居跡は不定形の竪穴となり、その中央には、平面形がおむすび形の土坑が築かれており、それの角すべてに直径20㎝ほどの穴が掘りこまれている。竪穴住居跡内からは、嘉徳Ⅰ・Ⅱ式土器が独占的に出土していることから、貝塚時代前4期(縄文後期)の今から3500~3000年前頃の住居跡であると考えられる。
 土坑が3基検出しており、そのなかの2号土坑からは、20個ほどの磨石類が出土している。磨石類には熱変成が認められず、土坑にも火に焼けた跡が確認されなかったことから、石蒸し料理などに使用されたものではなく、磨石の廃棄場だと考えられている。
文献・資料〈参考文献・資料〉
●県埋蔵文化財情報データベースhttp://www.jomon-no-mori.jp/kmai_public/
●黒川忠広2004『下原(Ⅰ~Ⅳ)遺跡』天城町埋蔵文化財発掘調査報告書(3)

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