1巻 p.018-019

ページ概要[P.018]大正11年6月15日に國學院大學で開催された鳥居龍蔵の講演「徳島の巌窟について」の聴講メモ。(続き)/
[P.019]鴨居横穴発見時の記述「重要記録」。
含まれる遺跡・寺院等鴨井横穴(鳥ヶ崎横穴)
遺跡・寺院等の所在市町村横須賀市
登場人物(記載ママ)鳥居龍蔵
記載年月日大正11(1922)年6月頃か
翻刻[判読不可は■][P.018]
又コンナモノモ多ク発見サレマシタ。岩ノ前面ニ石ヲ積ミ、ソノ上ニ大石ヲ覆フテアリマシタ ソノ中ニ彌生式ニカギツテ置カレテアリマシタ。カノ阿波式石棺(組合セ石棺)ノ原始的ノモノデセウ
コレニ依ツテ現今ノ原史時代ノ前ニモ一ツノ時代ヲ置イテモヨイト思ハレマス。
又ケールン(積石塚)中ニコンナノモアル。積石ノ裏ヘ彌生式土器ヲ埋メソノマワリニ石ヲカコンダノデス 断片的デスミマセンデシタ。何シロ時間ガ少ナイノデ他日クワシクオ話シ得ント思ヒマス 今日ハコレデ終リマス、尚コレ等写眞(三百枚アリ)ニツイテ御覧ヲ願ヒマス。終リ

[P.019]
重要記録 発見をきき、見に行ったときの状況が記されている
鴨居ノ横穴
相州鴨居(三浦郡浦賀町字鴨居)ニ横穴ガ発見サレタ。トノ通知ガアッタノデサッソク出カケテ見タ。場所ハ燈台ノアル観音崎ノ南方亀ヶ崎ノ次、鳥ヶ崎デアル。(亀ヶ崎ハ現今神ヶ崎ト称シ、鳥ヶ崎ノ𦾔名ハ鶴ヶ崎デアルトイフ)

鳥ヶ﨑ハ嘉永四年亀ヶ﨑ト同ジク川越藩主松平大和守斉典ガ徳川幕府ノ命ヲ奉ジテ砲台ヲ築イタ地デアル。今回ノ横穴ハソノ北隣ノ山腹デ地ナラシ※中発見サレタモノデアル。※(今或事情ニテ中止セリ)発見ト同時ニ入口ヲ大キク開イテ内部ヲ発掘シタ(土工ガ)ノハ三ケデアル、多数ノ人骨ノ他土器、管玉、刀剣ガ発見サレタ。所有者ニツイテソレヲ見ルニ土器ハイハヒべ土器ト弥生式土器トニテ蓋杯、盤、杯盌、坩、及ビ甕デアルラシカツタ、破壊シテル居ルノハ発掘ノ時ニ破壊シタノガ主デアルガ天井石ノ落下ノタメ破壊シタモノモアルラシカツタ。〔岩質ガ石灰分ヲ多量ニ含ムタメ、水ハ石灰分ヲ溶シ来ツテ横穴中ニ(鎌倉妙本寺ノ横穴ニ於ケルガ如ク)小サナ鐘乳石ヲ形成シテ居ル、又年々落岩ト共ニ落下シ、下デ石灰分ニカタメラレルカラ発掘ハ非常ニ困難デアル〕
管玉ハ緑色デ出雲石ラシイ美クシイモノデアル径二分五厘長サ一寸二三分デ孔ハ非常ニ小サイ。
刀剣ハ三振ラシク、中一振ハ角バツタ鋒ヤ平背

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[翻刻(所属は翻刻時)]
坂本早希(慶應義塾大学文学部 国文学専攻3年)
千葉 毅
[翻刻日]
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[一部修正]匿名さん
[修正日]2021年10月10日
記載資料の現在の所蔵機関
このページを引用した文献
関連情報赤星直忠1925「相州鴨居の横穴(一)」『考古学雑誌』第15巻第8号 考古学会、pp.516-523
赤星直忠1925「相州鴨居の横穴(二)」『考古学雑誌』第15巻第9号 考古学会、pp.597-605
赤星直忠1925「相州鴨居の横穴(三)終」『考古学雑誌』第15巻第11号 考古学会、pp.763-772
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ノート所蔵機関赤星直忠博士文化財資料館

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