1巻 p.016-017

ページ概要大正11年6月15日に國學院大學で開催された鳥居龍蔵の講演「徳島の巌窟について」の聴講メモ。(続き)
含まれる遺跡・寺院等越中氷見の洞穴
遺跡・寺院等の所在市町村富山県氷見市
登場人物(記載ママ)鳥居龍蔵
記載年月日
翻刻[判読不可は■][p.016]
アキラカニナツタノデス。ヨーロッパニ於テハ古石器時代ノ人類ガ巌窟ニ住シテ岩壁ニ画イテ居タコトハ近年盛ニ研究サレマシタ。然ルニ我国ニ於テモコノ城山ニ於テハ古石器時代ト同ジ様子デアリマス。ケレドモコレハソウ古イモノデナク、三四千年前ノモノ新石器時代ノモノデアリマセウ。越中氷見ノ洞穴ト共ニ他ニモ多クアルコトヽ信ジマス。而シテ今迄ノ竪穴説ガ今度ノ発見ニヨツテグラツキ出シタト信ジマス。
又Ⓑ点ニ於テ大キナ平石ガアリマシタガコレノ下ニ、椿ノ葉、貝殻ナドガ同ジ距離ニテ置カレテアリマシタ。
コレハ偶然ノコトヽハ考ヘラレマセン。或ハ宗教的ナ考ヘニヨツタモノデセウ。
城山ノ麓ハイタルトコロ貝塚デアリマス ドウシテ知レタカ ソレハヤタラニホリクリカヘシテ見タ結果デアリマス 四國ニ貝塚ハナイトサレタノガ今度ノ発見ニヨツテ否定サレタワケデアリマス。貝塚中最大ナモノガアリマス。コヽカラ人骨三体ヲ得マシタ。
皆屈葬デアリマシテ石ノ枕ヲシテ居リマシタ。面白イノハ頭部ニ近ク石斧、石庖丁ガ置カレテアツタコトデス。コレハシベリアニ於ケルト同様デス

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[翻刻]諏訪あずさ
[翻刻日]2021年10月8日
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(P.017)
「(図)」
貝塚カラ出タ土器は薄デシタ
黒曜石片、サヌカイト ■ハ出マスガ フリント 即チ
燧石ハアリマセヌ(唯一箇)
「(図)」
洞穴ノ入口ニ 一ツノ土ノ盛リアガリガアリ、石段(A)がツ
イテ居マシタ、試ニ崩シテ見マスト 石段(B)ノ下カラ又石段ガ
出ル 尚崩スト 石(C)敷イテアリマシタ、(A)ハ蜂須賀氏
ノ造レルモノ、(B)ハ花崗岩デ天正時代ノモノ、(C)ハ鎌倉
時代ノモノデシタ 鎌倉時代ニ石ヲ敷イテ水ヲタタへタ
ラシイ 後 天正時代 コレニ石段ヲ造ツタガ段埋モレ
蜂須賀氏ガ又造ツタラシイ、
コノ土ヲトリ去ト下カラ巨石ノ■アレタノガ出タ、コレ
ハ 所謂 ドルメンデアツタノデス、上ニ巨石ガ
ツマレ マワリニ 石ノ玉垣ガ建築サレテ居マシタ、
巨石ノ下ノマワリニハ弥生式土器ガグルリウヅメ
ラレテアリマシタ、
「(図)」「(図)」「(図)」

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[翻刻者]高尾将矢
[翻刻日]2022年2月5日
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ノート所蔵機関赤星直忠博士文化財資料館

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