1巻 p.012-013

ページ概要大正11年6月15日に國學院大學で開催された鳥居龍蔵の講演「徳島の巌窟について」の聴講メモ。
含まれる遺跡・寺院等
遺跡・寺院等の所在市町村
登場人物(記載ママ)鳥居龍蔵
記載年月日大正11(1922)年6月15日
翻刻[判読不可は■][p.012]白紙ページ

[p.013]
鳥居龍蔵氏  徳島の巌崫について
  大正十一年六月十五日 國学院大学にて
         (午後六時半ヨリ)
断片的ニ筆記セリ.       友人
 彌生式遺跡ヨリ出ヅルモノヽ特長中 石剣ガアル、コノモノハ讃岐カラ出ル サヌカイト質 ノ石デ出来テヰル、天孫民族ノ渡来サレタルトキ スデニ我國土ニ住シテ居タ カノ 國津神(天孫降臨ノ猿田彦命 簸ノ川ニ於ケル足無槌、手無槌)ハ即チコノ石剣ヲ残シタ、彌生式民族ナノデアル.
(サヌカイト質ノ)石斧ガ今度ノ遺跡カラ発見サレマシタ ガ 注意スベキハコノ石斧ガ皆 ノミ ノ様ナ形ヲナシテ居ルコトデアリマス

(スケッチ「石剣」:ページ左端に縦断)

コレカラ今度ノ遺跡ニツイテ時間ガ少ナイカラ簡単ニオ話シテ見マセウ
徳島市ヲ流レテ居ル吉野川ト眉山(マユヤマ、又ハビザン)トノ間ニ孤立シタ岩山ガアリマス。 コノ山ヲ城山ト称シテ蜂須賀家代々ノ城山デアリマスガソノ以前ニモ長曽ヵ部氏ソノ他ノ城山デアツタノデアリマス、吉野川カラ二十町、眉山カラ二十町ノ場所ニアツテ ナカナカ形ノヨイ山デアリマス 太古ニハソレガ海中ニアツテ 所謂 蓬莱山トモイフベキ形ヲナシ無智ナ当時ノ人間ニモ好感情ヲ持タセタモノデアツタデセウ

[翻刻:佐藤夏妃(日本女子大学文学部) 翻刻日:2021年10月4日]
記載資料の現在の所蔵機関
このページを引用した文献
関連情報赤星直忠「私と考古学の思い出」(『横須賀考古学会年報』No.27、1987)に、聴講の経緯が記されている。
「徳島で先生が10年の4月に掘られたことを、その話を偶然にも先生の講演を聞くことが出来たのです。それは大正11年6月15日の午後6時から国学院大学で大学の学生を集めて、その発掘の話をされたのです。私の中学校の同級生で、横須賀の人間なのですけれども、村崎勇君というのがおりました。国学院大学を出てから、ずっと千葉県へ行って、千葉県の中学校の先生をやって、最後は校長にまでなりましたけれど、この人が私に知らせてくれましてね、国学院大学で鳥居先生の話があるから聞きにこい。だけれども、学生以外のものは入ってはいけないのだから、おまえ学生のふりをして、おれと一緒にこいと。そこで先生の発掘の話をその時に聞きました。」(上記文献、p.3)
この巻全体をPDFで見るhttps://sitereports.nabunken.go.jp/101887
ノート所蔵機関赤星直忠博士文化財資料館

PageTop