加藤菁山

制作/生産地・窯・作者名(よみ)かとうせいざん
制作/生産地・窯・作者名(英語)KATO Seizan
生年1895
没年1966

略歴・解説

五代加藤五平の次男として生まれる。1921年頃、愛知県立窯業学校教諭の藤井紫水より日本画、同・日野厚より図案を学ぶ。1924年、加藤土師萌、河本礫亭、矢野陶々らと瀬戸で最初の作家集団「陶均会」を結成する。1927年天皇行幸の際、献上品を制作。1924年第11回農展に《桃源模様磁器花瓶》が初入選。1928年には第9回帝展に《果実透彫文様陶製榻》が初入選。1929年の「土の風景社」結成は、若手作家の研鑽の場として菁山が主導したもので、同会には指導者として参加、同様に若手作家育成のため、工芸家藤井達吉を瀬戸へ招く。「土の風景社」を発展解消して1932年「瀬戸作陶会」を結成した際も顧問として参加し、後進の支援を精力的に行う。菁山は《天目釉花文三耳壺》(no.15)や《青釉草花文手鉢》(no.17)のように、奇をてらわず、天目釉、織部釉などの伝統釉薬技法と、若き日に日野厚に学んだ図案によって制作を行っている。

略歴・解説は『瀬戸陶芸の黎明-創作の源流を辿って-』(2018、愛知県陶磁美術館)より

この作者の資料一覧[全0件]

該当するデータが見つかりませんでした。
検索条件を変更し、再検索してください。

PageTop