ゴットフリード・ワグネル

制作/生産地・窯・作者名(よみ)ごっとふりーど・わぐねる
制作/生産地・窯・作者名(英語)Gottfried WAGNER
生年1831
没年1892

略歴・解説

ドイツ・ハノーバーに生まれる。ドイツで化学を専攻し学位をとる。明治元年(1867)に長崎で石鹸工場をつくるために来日した。同3年(1870)、鍋島藩に招聘され、有田磁器製造所で磁器窯の改良に力を尽くした後、東京で大学の理科の担当教授となる。その後大学を一時解雇されるが文部卿より東京職工学校を設立する任務を委嘱され、そこで教鞭をとった。同8年(1875)、築地のアーレンス商会に入り、七宝の釉薬の改良に力を発揮し、さらに同11年(1878)、京都府の招聘に応じて、京都府勧業場舎密局で、陶器・玻璃・染色などの工業に関する事業を起こし、京都における美術工芸を一新。その後も、農商務省や民間の顧問となり、各地でその科学技術を伝えた。同14年(1881)、舎密局が廃止されると、再び東京に戻り、東京大学で教授するかたわら自ら江戸川陶器製造所を借り、自費で陶器の製造に従事し、吾妻焼(後に旭焼に改名)を完成させた。この旭焼はそれまでの釉薬の上に彩色を施す、上絵付という方法から、彩色を施した上に釉薬を掛ける、釉下彩という全く新しい方法でつくられたものであり、その後、この方法は多くの陶芸家に用いられるようになった。国内だけでなく海外でもその業績がたたえられ、多くの勲章を受ける。その半生を日本の美術工芸の発展に尽くした。

略歴・解説は『万国博覧会と近代陶芸の黎明』(2000、愛知県陶磁資料館 京都国立近代美術館)より

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