略歴・解説
帯山家は京都粟田口の陶家で、姓は高橋、屋号は茶碗屋・帯屋。近江佐々木氏の遺臣高橋藤九郎が延宝5年(1677)に粟田口東町で陶業を始める。六代与右衛門を除いて代々与兵衛を名乗る。五代の時に陶質青磁を制作して禁中調度御用を拝命、六代は天保(1830-44)頃に絵師松村景文・岡本豊彦と交流して彩画陶器を始めたという。歴代の墓は城安寺(京都市東山区三条通)にあり、墓石には「帯屋與兵衞」と記す。
九代の記述によれば(明治22年京都府へ提出『出品解説』)、八代は文久元年(1861)に業を継いだとされる(一説に文久2年7月)。明治6年(1873)、ウィーン万国博覧会に参加、有功賞牌受賞(京都粟田五条坂陶工)。同8年、第4回京都博覧会にて銀牌受賞。同9年、第5回京都博覧会に出品受賞。さらに同年、フィラデルフィア万国博に、菊に鶏画花瓶、各種花瓶(彩画)、小食器(桜花小禽図其他)、茶具、高台果皿、コーヒー具を出品などの記録があり、海外輸出に積極的に取り組んでいたことが知られるが、八代と確定出来る実作品が少なく、不明な点が多い。