練兵場内の一本松と警察官の住宅(1937年1月)
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01-01-04. 駒沢練兵場
資料ID | 66 |
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名前(読み) | コマザワレンペイジョウ |
名前(英語) | Komazawa Training Camp |
テーマ | みどりの散歩道コース |
コース | 01.駒場コース |
コンテンツ | 01.駒場の今昔 |
資料紹介 | 明治30年(1897)、駒場野の南の位置に帝国陸軍の大練兵所が設けられました。北は現在の東山公園、南は三宿(ミシュク)病院、さらに東は東山中学校、西は世田谷区の池尻小学校の辺り、その広さは実に13ヘクタール余りに及びました。これが目黒、世田谷の両区にまたがって広がっていた駒沢練兵場です。 やがて、この練兵場の西側一帯に野砲兵(ヤホウヘイ)第一連隊、近衛野砲(コノエヤホウ)連隊、砲兵旅団(ホウヘイリョダン)司令部等が次々と建てられ、練兵場を使った軍事訓練が日夜行われるようになりました。この訓練は大変に激しいもので、兵隊も重い砲車を引く軍馬も汗まみれ、土まみれになり、いつも訓練が終わる頃には、人馬ともにへとへとに疲れ切ってしまったそうです。またあまりの猛訓練(モウクンレン)のため、春一番の強い南風が吹く頃になると、人馬が巻き上げる砂塵(サジン)が家の中に大量に入り込み、きれいなのは茶筒の中だけだった、というエピソードも伝わっています。 |
データ利用条件 | 教育目的での使用については、権利所有者の許可は必要ありません。 |
コース紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=61 |
コンテンツ紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=62 |