駒場野之風景(歌川芳虎「幕末維新錦絵集」 1870年 早稲田大学図書館蔵)部分

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01-01-03. 明治3年のハイカラ観兵式

資料ID65
名前(読み)メイジ3ネン ノ ハイカラ ケンペイシキ
名前(英語)The fashionable Kanbei in the 3rd year of Meiji
テーマみどりの散歩道コース
コース01.駒場コース
コンテンツ01.駒場の今昔
資料紹介明治3年(1870)、わが国で初めての陸軍観兵式が駒場野で行われました。維新(イシン)後、日が浅かったため、兵士の服装はまちまちで、軍事教練のスタイルもイギリス式、フランス式、ドイツ式とばらばらで、それは珍妙(チンミョウ)なものでした。
この時、明治天皇は弱冠(ジャッカン)19歳。烏帽子直垂(エボシヒヒタレ)に緋(ヒ)のはかまを着け、芦毛の馬に乗って皇居から駒場野へ向かいました。沿道には大勢の見物人が詰めかけましたが、すでに新政府から「今後いっさい土下座無用」の通達が出ていたので、沿道に詰めかけた大勢の見物人は、初めて立ったまま天皇の行列を見送ったといいます。
観兵式はラッパの音を合図に始まりましたが、見物人はもちろん、兵士の中にもラッパを初めて聞く者が多く、みな目を白黒させ、号令も日本語のほかに英語、フランス語、ドイツ語などが飛びかい、意味のわからない号令に兵士たちは右往左往(ウオウサオウ)の連続だったようです。この時、天皇陛下が閲兵のため野立ちした場所が、今の駒場小学校の辺りといわれ、後に地元の有志が立てた記念碑が校庭に残っています。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=61
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=62
関連人物名明治天皇
 歌川 芳虎

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