法界塚の碑

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07-01-03. 法界塚と鬼子母神堂

資料ID242
名前(読み)ホウカイヅカ ト キシボジンドウ
テーマみどりの散歩道コース
コース07.碑文谷・立会川コース
コンテンツ01.碑文谷の今昔
資料紹介法界塚は16世紀末の古文書にもその名が見えますが、これが法華寺関係の経(キョウ)塚なのか、あるいはもっと昔の古墳なのか、確かなことはわかっていません。この法界塚の敷地内に建つ古びたお堂は、江戸初期の元和2年(1616)に安藤藤八郎が品川区の摩耶寺に創建し、明治末に現在地へ移された鬼子母神堂です。鬼子母神と十羅刹女(ジュウラ セツニョ)が祀(タテマツ)られています。鬼子母神は安産・子育ての神さまとして親しまれていますが、もとは他人の子を奪って食べる悪神でした。しかし仏さまに数百を超える子供のうち、たった1人を隠されたことで悲嘆し、初めて自らの過ちを悟りました。この戒(イマシメ)めをもって改心し善神になったといわれています。その際に鬼の角もなくなったことから、入口横に建てられた石碑に書かれている「鬼」の字は、角に見立てた一画目の点のない字が用いられています。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=238
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=239
関連人物名鬼子母神
 十羅刹女
 安藤 藤八郎

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