神社のお祭り(碑文谷八幡宮)
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07-01-00. 碑文谷の今昔
資料ID | 239 |
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名前(読み) | ヒモンヤ ノ イマムカシ |
名前(英語) | Past and present of Himonya area |
テーマ | みどりの散歩道コース |
コース | 07.碑文谷・立会川コース |
コンテンツ | 01.碑文谷の今昔 |
資料紹介 | 碑文谷は目黒区内でも古い歴史をもつ地域です。江戸時代は目黒六か村(上・中・下目黒村、三田村、碑文谷村、衾村)の一つに数えられ、隣接の衾村と合併した明治22年(1889)からは「碑衾(ヒフスマ)村」と呼ばれるようになりました。目黒名物の筍をはじめ、米、麦、野菜などの栽培が盛んで、のどかな近郊農村だった碑文谷も、大正12年(1923)の関東大震災を境に大きく変貌し始めます。地震で家を失った多くの人々がこの地に移り住み、また目蒲線(大正12年(1923))や東横線(昭和2年(1927))の開通によって、周辺の田畑もどんどん宅地に変わっていきました。震災後の碑文谷界隈(カイワイ)は、住宅地の中に商店や中小工場が混在する町に生まれ変わり、今もその名残をとどめています。 |
データ利用条件 | 教育目的での使用については、権利所有者の許可は必要ありません。 |
コース紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=238 |