仮契約書(浦安町より葛西村長島に至る渡舟請負の件)

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仮契約書(浦安町より葛西村長島に至る渡舟請負の件)

作成年月日(和暦)明治45年07月04日
作成年(西暦)1912/07/04
作成者・差出人浦安市長吉田精一代理助役 大塚勘七・内田弥五郎 ほか立会人5名
形態
資料群名内田実弥家文書
文書番号A-62
公開解説旧江戸川の渡し舟「堀江の渡し」に関する資料。
浦安と対岸の葛西との間では、互いに耕地を持つ人がいたことや親戚関係がある場合も多かったため、人々の往来は盛んで、浦安橋ができるまで(昭和15年架橋)は、渡し舟が利用されていた。堀江村と葛西村との間を渡す「堀江の渡し」は、明治維新前に堀江の内田平次郎が船頭を雇って始めたものであるという。平次郎が亡くなった後は、当時17歳の長男、弥五郎(明治元年生まれ)が跡を継ぎ、常時2,3人の船頭を雇って営業していた。
明治30年(1897)ごろ、内田家では、渡しの営業権を村会議員に取り上げられたことがあったという。そこで、弥五郎は、当時河川を管轄していた警視庁に赴き、警視総監から営業の承諾書を得ることができた。明治43年(1910)から、渡しの営業は町の入札制となったというが、この仮契約書によると、明治46年(1912)4月1日から48年(1914)3月31日までの2ケ年間は、内田弥五郎が継続して営業したようだ。
キーワード渡し船 水上交通 明治 堀江

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