田能村直入

作家名(ヨミ)たのむら ちょくにゅう
作家名(英語)TANOMURA, Chokunyu
生年1814
生年(和暦)文化11
没年1907
没年(和暦)明治40

略歴・解説

豊後国直入郡竹田村(現・大分県竹田市)岡藩に生まれる。幼名ははじめ松太、後に傳太。諱ははじめ蓼、のちに痴。字ははじめ虚紅、後に顧絶。号ははじめ小虎、後に直入。通称は小虎とした。別号に竹翁、忘斎、煌斎、芋仙、布袋庵、無声詩客などがある。1822年(文政5)、9歳で竹田の画塾に入り、竹田の養継子になる。漢詩を広瀬旭荘に習い、茶道や香道、剣道も身につける。1834年(天保5)、竹田に伴って大阪に行き大塩平八郎から陽明学を教授された。1835年(天保6)に竹田が亡くなると、その後堺に居を構える。1860年(万延元)高麗橋に引っ越した。煎茶の普及に尽力して1862年(文久2)に淀川で「青湾茶会」を主催。1880年(明治13)、京都府画学校校長に就任。1896年(明治23)富岡鉄斎らと日本南画協会を設立した。

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