砲撃(『戒厳令下シリーズ』より)
| 作者 | シャム |
|---|---|
| シリーズタイトル和文 | 戒厳令下シリーズ |
| タイトル英文 | Album du Siege,The bombardment. |
| シリーズタイトル英文 | Album du Siege |
| 作品サイズー縦 | 21.50 |
| 作品サイズー横 | 17.50 |
| 制作年 | 1870 - 1871 |
| 技法 | リトグラフ |
山梨県立美術館 収蔵品データベース
| 作者 | シャム |
|---|---|
| シリーズタイトル和文 | 戒厳令下シリーズ |
| タイトル英文 | Album du Siege,The bombardment. |
| シリーズタイトル英文 | Album du Siege |
| 作品サイズー縦 | 21.50 |
| 作品サイズー横 | 17.50 |
| 制作年 | 1870 - 1871 |
| 技法 | リトグラフ |
| 作者名(ヨミ) | シャム |
|---|---|
| 作者名(英語) | CHAM |
| 作者名(原表記) | CHAM, Amedee Charles Henri |
| 作者名(別名) | シャム、アメデ・シャルル・アン |
| 作者名(別名ヨミ) | シャム、アメデ・シャルル・アン |
| 出身地 | フランス |
| 生年月日(西暦) | 1819 |
| 没年月日(西暦) | 1879 |
| 流派 | Nicolas Toussan Charlet |
| 略歴・解説 | パリの高等技術受験に失敗した後、財務省に見習いとして雇われるが、画家となるためにこれを辞し、ニコラ・トゥサン・シャルレの工房に入る。後にミレーの師でもあるポール・ドラロシュに師事した。シャルレのもとで、風刺画の才能を伸ばした。1839年に風刺画家として仕事を始め、1840年にはシャムという筆名を用いるようになった。1843年には『シャリヴァリ』誌に寄稿するようになり、没するまでに少なくとも40,000点を超える作品をこの雑誌のために制作した。シャムの作品はイギリスでも『パンチ』『イラストレーテッド・ロンドン』誌などに掲載され、フランス国内以上の評価を受けた。シャムの作品は表現上の点でオノレ・ドーミエに強い影響を受けている。また説明文を伴っている点にも特徴がある。ほとんどの作品がパリの社交界や市井の人たちの日常生活を描写したものであるのは、シャムがパリをほとんど離れたことがなかったからだとも言われている。シャムは同時代の政治の革命的傾向を軽蔑し、1840年代から50年代にかけて『シャリヴァリ』誌に漫画や保守的な内容の素描を寄稿した。 |