八重山上布(やえやまじょうふ)

大分類ID6
No.1472
公開解説苧麻(ちょま)を原料とした八重山の伝統的な織物である。
八重山上布の起源は定かではないが、薩摩藩(さつまはん)の琉球侵攻(りゅうきゅうしんこう)(1609年)前後に発生したと考えられ、人頭税(にんとうぜい)制下の貢納布制度(こうのうふせいど)の確立に伴う首里王府への貢納が義務づけられた。宮古島では紺地の紺細(こんさい)上布、八重山では白地の赤嶋(あかしま)上布(捺染(なっせん)上布)や紺嶋(こんしま)上布(括染(くくりぞめ)上布)などの緻密で精巧な質が求められ、皮肉にもそれにより精錬された織物に発展していった。
王府時代は布を構成する糸の密度により上布(じょうふ)、中布(ちゅうふ)、下布(げふ)、下々布(げげふ)の4種に分け、上布とは最も細い糸で織られた布に対する名称であった。しかし、現在は苧麻で織られた布全般を上布と呼ぶ。

括染(くくりぞめ)技法
括染(くくりぞめ)とは、綿糸(めんし)などで防染(ぼうせん)する技法で、地括(じくく)りと絣括(かすりくく)りの二種がある。地括りとは他の部分を括り絣文様に色が入る技法で、絣括りは絣の部分を括ることにより地に色が染まり絣には色が入らない技法である。人頭税(にんとうぜい)廃止後、捺染(なっせん)上布の量産化がすすみ、手のかかる括染(くくりぞめ)上布は、しだいに織られなくなっていった。しかし、1973(昭和48)年に新垣幸子氏によりその技術が復元された。
王府時代は藍染(あいぞ)めの絣が主体であったため、この技法を用いた上布は紺嶋(こんしま)上布と呼ばれる。

苧麻白地(ちょましろじ)ウシヌヤマ文衣装(もんいしょう)
括染(くくりぞめ)技法による紺嶋上布(こんしまじょうふ)である。絣(かすり)の柄はウシヌヤマ(牛や馬に引かせて畑を耕す農具)カシトゥル(鳥)、フタジン(二匹螢)等で構成された総絣(そうがすり)衣装である。
この展示資料は、新垣幸子氏が平成11(1999)年に沖縄県立博物館所蔵の裂地から復元製作したものである。
縦(cm)-
横(cm)-
高さ(cm)-
産地-
時代平成11(1999)年
器種-

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