園比屋武御嶽(そのひやんうたき)石門扁額(へんがく)の拓本

大分類ID2
No.1487
公開解説琉球王国の王宮であった首里城(観会門と守礼門の間)に、王府の聖地の一つである園比屋武御嶽があります。国王は城外に出かけるとき、道中の安泰をこの御嶽で祈願したと言われています。この御嶽にある五門(園比屋武御嶽石門)は、竹富島出身の西塘(にしとう)により築造されたと伝えられています。
西塘は、竹富島で生まれ、生没年不詳、15世紀末~16世紀にかけて活躍した人物とされます。西暦1500年のオヤケアカハチの戦いで首里王府軍が八重山に来島した際にその非凡な才能を見出されて首里王府に取り立てられました。その後、学問に励みながら三司官(王政を司る宰相)に仕えました。彼は石造建築の才に優れ、首里城の城壁の設計にも携わったとされます。
この資料は園比屋武御嶽石門に揚げられた扁額を、鎌倉芳太郎(1898~1983 染織家・沖縄文化研究者)が拓本したものです。扁額には「首里の王おきやかもいかなしの御代にたて申候正徳十四年己卯十一月二十八日」と記されており、園比屋武御嶽五門が正徳14年(西暦1519年)の尚真王(神号 おきやかもいかなし)の世に築造されたものであることがわかります。
縦(cm)-
横(cm)-
高さ(cm)-
制作者鎌倉芳太郎
時代

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