下田氏像

作品名(ヨミ)シモダシゾウ
サイズ27.0×17.5
作家辻晉堂 つじしんどう
制作年1951
公開解説下田光造(1885〜1978)は、八頭郡散岐村(元・鳥取市河原町和奈見)出身の精神医学者です。東京帝国大学医学部を卒業後、慶応義塾大学教授、さらにドイツ留学を経て九州帝国大学教授を歴任。特に、躁うつ病の病前性格には仕事熱心で責任感の強い「執着性格」が多いという学説が広く知られており、てんかんや統合失調症等の研究にも大きな功績を残しました。
定年退官後は1945年に開校した米子医学専門学校の初代校長及び付属病院長に就任。戦後、米子医専が存廃の岐路に立った際、文部省との折衝を重ね、1948年山陰地方初の大学である米子医科大学へ昇格させ、さらに翌1949年には鳥取大学医学部へと昇格させました。下田はこの功績を称えられ、米子市名誉市民に選出されています。
本作制作当時、下田は63歳、作者の辻晉堂は41歳で、まさに鳥取大学医学部が設立されてまもない頃(現在も構内に設置されている)「下田光造先生像」とあわせて制作された作品と推測されます。【平成27年度常設展Ⅱ解説より】

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