鶏頭

作品名(ヨミ)けいとう
サイズ58.5×88.5
作家長谷川富三郎 はせがわとみさぶろう
制作年1965
公開解説長谷川富三郎(1910~2004年)は、郷土ゆかりの版画作家です。姫路市に生まれ、米子中学校(現米子東高校)・旧鳥取師範学校を卒業後、倉吉市を中心とした県中部で小学校教員として勤務しながら木版画制作に励みます。民藝運動に興味を持ち、鳥取の吉田璋也を通じて河井寛次郎の知遇を得、その縁で棟方志功と親交を結び、河井と棟方を終生の師と仰ぐこととなります。棟方志功が板の命を大切にするという思いから木版画を「板画」の字を当て「はんが」と呼び、1952(昭和27)年に日本板画院を結成します。長谷川も、「板画」に呼応して日本板画院展(板院展)の第1回から連続出品を続けます。小学校長を最後に教職を退くあたりから「無弟」の号を使用し、板院展、鳥取県展、倉吉市展で活躍し、80回に及ぶ個展と4千点に近い作品を残し、指導によっても県内における木版画の普及に多大な貢献をすることとなります。その影響もあってか現在も県中部では、版画制作(とりわけ木版画)が盛んで、板画無弟の遺志が脈々と受け継がれていると言えましょう。長谷川は、県中部の作家という印象が強いのですが、青年時代を米子で過ごしていたことは、意外でありまた郷土作家の縁をより強く感じさせる一面でもあります。さて、本作「鶏頭」は、「富士山」「大山」「倉吉打吹山伝説」「仏教」「外遊」等たくさんのシリーズ物がある中で、それらとは離れた作品となります。字面のごとく茎先にニワトリのとさかのような赤い細かい花をつける植物ですが、木版の簡素なモノトーンの世界でありながら、圧倒的な存在感で立ち並び、むせかえり匂い立つような真紅が感じられる力強い花の群舞になっています。長谷川は「鶏頭の花のもっているたくましさ、乱れている中の統一。そんなものを求めて板画にしたのでしょうか。」と後年自ら問っています。

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