内海の島

作品名(ヨミ)ないかいのしま
サイズ203.0×188.5
作家勝谷木僲 かつやもくせん
制作年不詳
公開解説 米子市生まれの勝谷木僲は、父の米荘に南画を学び、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)で西山翠嶂に日本画を学びます。在学中には「海棠の花」が帝展に初入選しました。木僲は、戦時中を除いて、前後十数回、帝展、日展に入選します。「京都・青甲社 勝谷木僲」と裏書きされたこの「内海の島」は、昭和28年第9回日展入選作品に同名の作品名があり、この作品ではないかと思われます。日展本部にも当時の詳しい資料がなく、定かではありません。当時木僲は、師西山翠嶂の青甲社に入塾し、同門の堂本印象、上村松篁、秋野不矩らとともに、中堅作家として活躍していました。しかし、昭和33年翠嶂が他界し、青甲社も解散。木僲は抜け殻のようになってしまいました。木僲が、画家として復帰したのは、郷里大山の山容に魅せられ、筆を持つようになってからです。その後は大山ばかりを題材に描いたようです。
 そう考えると本作品は、師が亡くなるまでの作品と推測できます。また平成14年に修復をした際に、額装の中に3枚の木宛のハガキが発見されました。そのハガキには、昭和28年8月1日の文字と、23年とも28年とも見られる消印があり、いずれも初夏、暑中見舞、盛夏の挨拶があります。つまり、昭和28年夏に受け取ったハガキを、その年の10月末の第9回日展に間に合わせるべく、急ぎ作品の中に入れ、強度を増すための裏打ち紙としたと考えられます。
 瀬戸内沿岸の穏やかな風景の本作品は、畳2畳分あり、日展会場でも大変圧巻ではなかったかと思われます。この作品のポストカードは米子市美術館で販売しています。

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