| 公開解説 | 筋骨隆々とした男性の漁師たちが、今まさに船を引き揚げようとしているところです。本作の前に立つと漁師たちの息遣いも聞こえるような迫力を感じていただくことができると思います。鳥取県境港市竹内町生まれの武良俊明(1909~2003年)と話をしたのは、1994年9月、武良は85歳でした。「友だちは給料取りになるのだが、自分は東京に行って絵を勉強する」「自分は絵描きになる」と決心をして、旧制米子工業学校を卒業後、上京して川端画学校で藤島武二に学んだことなど目を細めて当時のことを話してくれました。その後、本郷洋画研究所に移り、画友には田村一男、伊藤清永、そして郷里の先輩である笹鹿彪もいて、ミケランジェロに憧れていた武良は、特に男性の裸体像を好んで描きました。漁師は自然な姿として男性の裸体を描くことができると、本作も日本海沿いの弓ケ浜海岸の漁師の働く姿から着想し、1年間かけて仕上げた力作です。笹鹿の紹介で、当時かなり有名であった岡田三郎助主宰の第8回春台美術展(1933年)へ出品し、その後、連続して入選、武良は25歳の若さで会員に推挙されました。昭和11年文展(1936年)では500号の《鮪捕り》が入選し、その力作に「人物画の武良」としての名声が高まりました。1943年には郷里に疎開し、境中学(現・鳥取県立境高等学校)の教員となりました。終戦に近づく頃から武良の眼はだんだん悪くなり、50歳になる頃にはついに絵描きを断念しました。定年までは米子市内の中学校美術教員として勤め、その後には焼き鳥店を経営し、骨董品収集を趣味としてゆったりと過ごしました。本作は、当館に本人から寄贈いただくまで、武良が経営する店に飾ってあり、毎日眺めて大事にしていた作品です。 |
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