浄妙寺本堂

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浄妙寺本堂

よみがなじょうみょうじほんどう
大分類指定文化財
分類有形文化財(建造物)
地域名称有田地域
地域【検索用】有田地域,有田市
指定等区分国指定等-国指定
時代区分【検索用】鎌倉時代
員数1棟
所在地有田市宮崎町1000
時代鎌倉時代後期
指定年月日明治37年8月29日指定
指定番号327
所有者浄妙寺
解説有田川の河口近くに位置する臨済宗妙心寺派の名刹(めいさつ)である。寺伝によれば、大同元年(806年)平城天皇の母乙牟漏(おとむろ)皇后の勅願により、鑑真の高弟で唐僧の如宝(にょほう)を開基に迎えて創建された律宗寺院と伝えられる。七堂伽藍の大寺で、室町時代には当地の豪族・宮崎氏の庇護を得たが、天正年間に兵火に遭い、本堂と多宝塔を残して建物の多くが焼失した。正保4年(1647年)に初代紀州藩主徳川頼宣が復興させ、臨済宗に改宗したという。

本堂は薬師堂とも呼ばれ、桁行三間、梁間三間、寄棟造、向拝(こうはい)一間、本瓦葺の建物である。この建物は、様式や手法から鎌倉時代の建築と考えられる。しかし、当初の部材は組物(くみもの)、軒廻り、天井、内陣(ないじん)柱、須弥壇(しゅみだん)などで、他は江戸時代中期の後補(こうほ)材である。元は和様を基調としたものであったが、江戸時代の修理で禅宗様を取り入れて現在の形になった。

須弥壇は、前面中央に階段を設けて周囲に高欄(こうらん)を巡らし、格狭間(こうざま)には銅板押出の孔雀一対を貼り付ける。壇全体は黒漆塗とし、螺鈿(らでん)を散りばめて華やかに飾る。
旧市町村【検索用】有田市
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緯度34.076259
経度135.114672
キー250

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