平成21年度修復後の「豊後国八郡絵図」

豊後国八郡絵図(慶長豊後国絵図)

整理番号82
大分類絵図
中分類豊後・豊前国及び豊後国絵図関連
刊行年代慶長年間
法量(タテ)228.00
法量(ヨコ)234.00
摘要 この絵図は、江戸幕府が開幕まもない慶長10年(1605年)頃、臼杵藩に描かせた豊後国の「国絵図」(=国ごとの地図)です。これと同じ時期に西日本の諸大名に命じて作成された、いわゆる「慶長国絵図」は、正本は江戸城の度重なる火事で焼失し、正本同等に製作された「控図」も、全国で10点足らずしか現存していません。慶長国絵図作成当時は、まだ豊臣秀頼が大坂城におり、西日本には江戸幕府の支配力は十分及んでいませんでした。そこで、西日本支配に必要な情報を得るために作成した、あるいは、西国が幕府の支配地であることを示すため、あえて西国の国絵図を描かせたのではないか、といわれています。

 整理番号②-155も慶長年間作成の豊後国八郡絵図ですが、それとの違いは「らい紙」と呼ばれる注記の有無、本紙の違い、海の表現です。特に、この絵図の本紙は、間似合紙(まにあいがみ)と呼ばれる雁皮紙でも上質で大判の紙を用いています。その他は、豊後国内の八郡(国東、速見、玖珠、日田、大分、大野、海部、直入)の色分け、村形の様式、各郡の郡名・郡高、田と畠それぞれの面積等、データ記載はほとんど変わりありません。

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