絵図最西端部分の画像(別府湾・臼杵湾周辺)

瀬戸内海航路絵図

整理番号95
大分類絵図
中分類中・四国地方関連
法量(タテ)41.00
法量(ヨコ)695.00
摘要 臼杵城下から大坂までの航路と、その周辺の情報を記録した絵図で、描かれた臼杵城の状況から、万治3年(1660年)以前の状況を描いた物と推定されます。絵図は、折本状態に仕立てられています。題箋は後補で、表紙の付箋「甲十五」は、稲葉家で管理していた時代のものと推定されます。

 臼杵市所蔵の「近世絵図資料群」には、いくつかの系統の瀬戸内海絵図が残されていますが、中でもこの絵図は他の所蔵機関等にある瀬戸内海絵図とも違う特徴が見受けられます。
 一般的に伝来する瀬戸内海航路絵図は、豊後水道周辺を描く場合、佐賀関半島と佐田岬半島を結ぶラインを南限とすることが一般的です。しかし、この絵図では、臼杵湾とその最奥部に位置する臼杵城とその周辺を描き込んでいます。そのほかの瀬戸内海の描き方については、一般的に流布している瀬戸内海絵図とよく似ているので、おそらく一般的な瀬戸内海絵図をベースに、臼杵藩関係者がアレンジしたのがこの絵図と考えられます。

 この絵図と同じ内容の絵図資料を、大阪府の堺市博物館が所蔵しています。同館によると、その絵図を入手した際、もともと臼杵藩の船奉行を務めていた家に伝来していたとの情報もあったとのことです。

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