博物館収蔵 №10743

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海苔網(編みかけ、編みはじめ)

資料名(ヨミ)ノリアミ
地方名ノリアミ、アミヒビ
収蔵番号010743
使用地浦安 猫実
公開解説海苔を付着させるのに使用する網で、浦安では、幅4尺(約1.2m)、長さ20間(約36m)のものが主流であった。現在は長さ10間(約18m)となっている。網の材質は、もともとヤシやシュロなど自然繊維であったが、戦後に合成繊維の網も登場した。
海苔網が登場したのは昭和2年(1927)のこととされる。海苔養殖研究の第一人者、殖田三郎氏の『海苔養殖読本』によると、海苔網について、以下のような記載がある。
「網篊は昭和二年、東京椰子製綱株式会社の創案したものである、発明の動機は前項で述べた如き事情から大正の末期、故岡村先生時代に当時水産講習所教授東道太郎氏、千葉県君津郡水産会技師津川清治氏等によって粗朶の代りに藁の使用が試みられ、次いで棕櫚縄の網枠を篊とするような試験が行われ、ノリは網類によく発生するものであることが確かめられて居たのである。東京椰子製綱会社が之に着目し、篊材としての椰子縄の性能試験を津川氏や当時水産講習所助手日下部台次郎氏等に依託した、而して昭和二年に沈下式と称して篊網の特許を受け、販路拡張の意味もあって、試験研究機関や漁業組合に篊網を提供し、篊としての試験を勧め、同時に宣伝に力めいたのである。技術官として最初にこの試験に着手した人は前記の津川氏及び日下部氏であるが、海苔養殖業者では千葉県君津郡坂田漁業組合の平野仁三郎氏や、市原郡五井町漁業組合の田中賢吾氏等であった。平野氏は試作に於て相当良い成績を挙げたので、翌昭和三年には同組合の業者三二名が四九枚の網篊を試験するに至った。始めは海中に棚を作り、其上に網を拡げるような方法をとったが、昭和四年に支柱を建てて水平に張る形式となり、段々普及するに至ったのである。」
 昭和2年に坂田漁業組合(現、君津市)と五井町漁業組合(現、市原市)などで導入され、その後、普及したとあるため、浦安でも昭和初期には海苔網での養殖が行われたことと思われる。当初特に規格はなかったものの、昭和27年頃、東京地先では幅4尺(約1m20㎝)、長さ25間(約45m)が普通であったという。浦安では戦前から漁場区画の問題からか、長さは20間(約36m)と決まっており、当時、葛西では25間であったとされる。この資料は、編みはじめの海苔網、シュロ糸。
使用年代昭和
キーワード海苔

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