博物館所蔵 №3034

失業対策事業 境川浚渫工事(昭和29年度) 70 猫実松の湯前

作品名浦安町土木工事記録写真 自昭和二十四年至昭和三十年三月
プリントNo.03034
撮影日(和暦)昭和29年(1954)
場所1浦安橋(新橋)
公開解説「浦安町土木工事記録写真 自昭和二十四年至昭和三十年三月」に添付された写真。12ページにわたって「失業事業対策 境川浚渫工事(昭和29年度)」の写真が番号順に貼り付けられており、大規模な工事であったことがわかる。失業対策事業とは、失業者が定職につくまで一時的に仕事を与え、生活保障をする目的で、国または地方公共団体が実施する公共事業(主として土木工事)で、失対事業ともいった。大正時代末期から始まっていたが、特に昭和24年(1949)に制定された「緊急失業対策法」以後、一般公共事業と分離して制度化され、その仕事はニコヨンとも呼ばれた。ニコヨンとは、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円と定め、この百円2枚と十円4枚という日当から呼ばれたとされる。 浦安でもキティ台風後、様々な失業対策事業が行われた。
 写真70は「浦安松の湯前」とあり、新橋から東側、下流方面を撮影したところ。この浦安橋は、現在の新橋である。葛西と浦安とを結ぶ、旧江戸川にかかる橋(昭和14年<1939>5月3日竣工、昭和15年2月21日に開通式)を浦安橋と命名したが、境川にかかる橋も浦安橋とされた。昭和44年(1969)に刊行された『浦安町誌』上(浦安町誌編纂委員会編)の新橋の項には、次のような説明がされている。「新橋 町役場前にある橋で、明治二六年一〇月(一八九三)に、架設されたものである。橋名は初代村長新井甚左衛門により、最初は村名をとって浦安橋と命名されたが、近年は新橋と呼ばれるようになった。架設後、腐朽のため何回か架けかえられ今日に至っている。」
 昭和29年当時でも、本写真記録では境川にかかる橋の名称を「新橋」でなく、「浦安橋」と記載している。
キーワード土木工事 境川 浦安橋(新橋) 松の湯 浚渫工事

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