焼玉エンジン(35馬力)屋外展示場
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焼玉エンジン(35馬力)
型名 | SUZUKI IRONWORKS No.572 |
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型式 | SUZUKI IRONWORKS No.572 |
製作者 | 鈴木鉄工所 |
製図年月日 | 昭和33年9月 |
馬力数 | 35馬力 |
公開解説 | 伊豆土肥町(現在、静岡県伊豆市土肥町)の鈴木鉄工所で昭和33年(1958)に製造された焼玉エンジン。 焼玉エンジンとは戦前の船舶用エンジンとして主流をなしていたもので、燃焼室にある焼玉と呼ばれる部分を加熱して、燃料に着火させる方式である。戦後、より効率のよいディーゼル機関に変わっていき、現在、国内で稼働できるエンジンとしては数例しか確認されていない。 【本資料の特徴】 静岡県伊豆市土肥町にあった鈴木鉄工所製の船舶用焼玉エンジン(35馬力)で、製造年月日や設計者、製造者も明らかである状態で動態保存され、公開されている点で全国でも極めて貴重な資料となっている。鈴木鉄工所からは本エンジンの契約書を含めた文書資料全163点、設計青焼き図面全319点の一括寄贈を受けている。青焼き図面等、文書資料は劣化が激しいため、専門業者による修復作業が施され、機械の背景にある歴史的事項の保存も行われている。 【由来】 東京湾や九十九里浜などで使用された運搬船や揚繰船には、戦前から昭和40年代まで焼玉式の船舶エンジンが多数備え付けられていたが、昭和40年代以降の船舶用エンジンのディーゼル化により姿を消し、実物が残ることはまれであった。 浦安市では、元漁師の証言をもとにエンジンの探索を進めていたところ、旧江戸川(浦安市当代島一丁目付近)に焼玉エンジンの付いた運搬船(浦安では「買出し船」と呼ばれる魚や貝を運搬するのに使用)が沈んでいるとの情報を得た。 調査の結果、東京湾のアサリやハマグリを運搬した吉岡丸の35馬力船で、昭和40年代後半に沈没したことが判明し、平成9年(1997)11月25日に引き上げ作業が実施された。引き上げられたエンジンは、長年の水没により、さびが出たりフジツボなどの付着も見られたが、ネームプレートが残されていた。 ネームプレートには「SUZUKI IRONWORKS No.572 馬力35 回転数500 昭和33年9月製造 株式会社鈴木鉄工所 静岡県田方郡土肥港」との記銘があり、至急鈴木鉄工所に連絡したところ、設計者である鈴木昭氏(鈴木鉄工所社長)がご健在であたっため、修理を依頼した。 【鈴木鉄工所の焼玉エンジン納入実績】 鈴木昭氏へのヒアリングを実施したところ、納入台帳(「機関製造元帳」として、現在、浦安市郷土博物館で保存)が残っていることがわかった。台帳によると、浦安へは昭和18年(1943)年5月に「大長丸」に納品後、戦後の昭和22年に2台、23年に2台、24年に1台、25年に4台、26年に1台、30年に3台、31年に3台、32年に2台、33年に5台の計24台が納入されていることが判明した。 引き上げた「No.572」は、浦安に納入した最後の年に製造したエンジンであることもわかり、同年に同じ35馬力のエンジンが吉岡丸のほか、小川丸、岡清丸(いずれも買出し船)と3基納入されていることも明らかになった。 【修理から公開まで】 引き上げた焼玉エンジンは平成10年(1998)2月22日に浦安市から静岡県土肥町に運搬、修理作業が開始された。その後、鈴木鉄工所にて復元部品の製作に入り、本市の元機関士らが鈴木鉄工所に行き、平成12年(2000)11月16日、12月10~12日に作業を行い、12月21~22日でエンジンの組立作業を実施。12月23日に浦安市郷土博物館に搬入し、翌平成13年(2001)2月8日~10日に組立ての最終調整を行い、2月11日にエンジンが始動した。3月23日に再度調整を行い、浦安市郷土博物館の開館日である4月1日に市民の前に始動したエンジンを一般公開した。 |
写図年月日 | 昭和33年9月 |
キーワード | 焼玉エンジン 漁船 内燃機 焼球 |