樺太境界画定作業写真帳 其一
樺太境界画定作業 写真帖 其一
作成年月日(和暦) | 明治39年 |
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作成年(西暦) | 1906 |
形態 | 冊 |
資料群名 | 宇田川徳太郎家資料目録 |
文書番号 | 1-1 |
公開解説 | 第7代浦安町長 宇田川徳太郎が残した資料。 日露戦争後、明治38年9月に締結した「日露講和条約(ポーツマス条約)」によって、ロシア領地であった樺太の南半分(北緯50度線)が日本に割譲された。樺太日露国境線を画定する作業過程の写真全81点が貼り張り込まれた写真帳で、すべての写真に日付や場所が記載されている。明治39年6月6日、出発前に青森で撮影された記念の集合写真から始まり、同年11月8日、引き揚げ途中小樽における経度測定準備作業の写真で終わっている。寒さが厳しい冬の季節に作業はできないことから、委員一向は11月に一度帰国し、翌年5月に再度樺太入りしている。「其一」となっているのは、最初の年の作業をまとめたものという意味であろう。残念ながら、2度目に樺太入りしたときの写真帳は残っていない。 浦安市郷土博物館調査報告第15集『新収蔵品展 測量をめぐる浦安の偉人 宇田川徳太郎 ~ロシアとの国境線をつくった男~』を参照のこと。 |
キーワード | 日露戦争 |