秋山玄氏提供写真(金魚池17) プリントNo.2784

金魚池風景17、地曳網で金魚を捕らえる

プリントNo.02784
年代昭和35年(1960)
場所1金魚池
公開解説 秋山金魚池(現在の博物館位置、猫実1-2-7)関係写真。地曳網で金魚を捕らえる。
 この金魚池について、昭和44年(1979)に刊行された『浦安町誌』上(浦安町誌編纂委員会編)には、次のように記載されている。
 金魚場
 猫実の東京湾に面したところに、一万二〇〇〇坪(三万九六〇〇平方メートル)に及ぶ大きな金魚の養魚場がある。町の人はこの養魚場を、秋山の金魚池と呼んでいる。ここは初代、秋山吉五郎が、大正一一年に買い取って金魚の養殖を始めたものである。氏はそれまで東京市砂町で金魚の養殖をしていた。
 明治末年頃、金魚が盛んにアメリカに向けて輸出されたが、当時アメリカ人は、一般に奇形的な形をした金魚を鑑賞して喜んでいた。とくにうちこぶをつけ、背びれのないランチュウのようなものや、リュウキンのようにまるくて尾の長い金魚が好まれた。吉五郎は、アメリカ人の好みを考え、アキニシキ(秋錦)をつくり出した。アキニシキは、容姿艶麗にして、水清き秋の池上に紅葉を散らしたような美しさであるところから、この名が付けられた。
 このほか、キャリコ、シュウスイ、ブンキンなどの新種を次々とつくり出し、全国各地の品評会に出品し、数々の賞を獲得した。今日、秋山金魚場からは、毎年数十万匹の金魚が全国各地に出荷され、関東一の金魚の養殖場として、その名が高い。
 また秋山玄氏のメモには、地曳網で魚を捕らえることについて、次のように紹介している。
 池舟に集めた魚を選り場に運んで選別する。それを「選る」という。選り場では、2人が組んで異種の魚を選び出す。時には数千という魚を20匹ほどづつ選り分けていく。それには体力と根気を必要とする。
 池替えをせずに魚を捕らえるのに、地曳網を使う。池の周囲には浅いところと深いところ(池替えのときポンプは深いコーナーに設置する)がある。その浅いコーナーに下げてあるホーローにのみ早朝に餌を与え、多くの魚をおびき寄せる。頃合いをみてホーローを取り囲むように地曳網を引く。網を狭めて魚を捕らえる。
 鯉などの大きな魚は、大きな池に放たれているので、池替えは不可能である。地曳網で捕らえ、そこで選別する。下の写真(金魚池風景2、プリントNo.2772)は冬であろう。ゴムズボンをはいての作業である。
 毎日新聞の昭和31年(1956)4月6日版に、この池には2年魚が30万匹おり、1年間でもっとも少ない産卵ふ化の時期でも、全体で数百万はいる、と報じている。

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