秋山玄氏提供写真(金魚池16) プリントNo.2783 池替えで金魚を集める 源一郎
金魚池風景16、池替えで金魚を集める、源一郎
プリントNo. | 02783 |
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撮影日(和暦) | 昭和40年(1965)頃 |
場所1 | 金魚池 |
公開解説 | 秋山金魚池(現在の博物館位置、猫実1-2-7)関係写真。池替えで金魚を集める源一郎。 秋山源一郎は、三代目、秋山吉五郎で、昭和元年・1925、生まれ、平成15年・2003、没。 この金魚池について、昭和44年(1979)に刊行された『浦安町誌』上(浦安町誌編纂委員会編)には、次のように記載されている。 金魚場 猫実の東京湾に面したところに、一万二〇〇〇坪(三万九六〇〇平方メートル)に及ぶ大きな金魚の養魚場がある。町の人はこの養魚場を、秋山の金魚池と呼んでいる。ここは初代、秋山吉五郎が、大正一一年に買い取って金魚の養殖を始めたものである。氏はそれまで東京市砂町で金魚の養殖をしていた。 明治末年頃、金魚が盛んにアメリカに向けて輸出されたが、当時アメリカ人は、一般に奇形的な形をした金魚を鑑賞して喜んでいた。とくにうちこぶをつけ、背びれのないランチュウのようなものや、リュウキンのようにまるくて尾の長い金魚が好まれた。吉五郎は、アメリカ人の好みを考え、アキニシキ(秋錦)をつくり出した。アキニシキは、容姿艶麗にして、水清き秋の池上に紅葉を散らしたような美しさであるところから、この名が付けられた。 このほか、キャリコ、シュウスイ、ブンキンなどの新種を次々とつくり出し、全国各地の品評会に出品し、数々の賞を獲得した。今日、秋山金魚場からは、毎年数十万匹の金魚が全国各地に出荷され、関東一の金魚の養殖場として、その名が高い。 また秋山玄氏のメモには、「池替え」について、次のように紹介している。 よく使われる池は、年3回の「池替え」を行う。池替えとは水を完全にかい出し、池の掃除をする。 大きな音を出す焼玉エンジンでポンプの水車を回転し、水を隣の池にかい出す。 水をかい出すのに半日はかかる。広い池なので、焼玉エンジンの音は活気を呼び込む。終戦後はモーターに替わる。 水が減ったところで魚を捕らえ、隣の池の池舟に集める。魚を捕り終えたらうなぎ鎌で底をかくと、思わぬ獲物が手に入る。 池の底に溜まった魚の糞をならし棒(トンボという)で周辺に集め、そのあとエンピ(泥かシャベル)で泥をハグチ(池を仕切る土手)に投げ上げる。これを「跳ね上げ」と言うが、まさに土木作業である。 最後は石灰を撒く。魚は酸性化を嫌う。 池舟に集めた魚を選り場に運んで選別する。それを「選る」という。(以下略) |
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