秋山玄氏提供写真(金魚池11) プリントNo.2778
金魚池風景11、1部池より2部池を眺める。
プリントNo. | 02778 |
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場所1 | 金魚池 |
公開解説 | 秋山金魚池(現在の博物館位置、猫実1-2-7)関係写真。1部池より2部池を眺める。右に住居があり、中央、左寄りに水神森がある。 秋山玄氏の記録には、次のように記されている。 浦安市郷土博物館の2回に展示してある地図(昭和44年・1969)は、1部池が町の買収を受け、埋め立てられた後の図である。この地図の長方形部分が2部池である。 2部池の南側一帯は埋め立てられ、現在は市庁舎(旧庁舎、現在の立体駐車場付近)が建っている。そこは海楽園の跡地で、海水浴場として賑わっていた。(中略) この写真は、1部池と2部池の境界に建つ家屋の上から、2部池方面(南の方向)を見渡している。右端に住居があり、池の中央に水神森がある。 この鎮守様は、土と水の神である埴山姫神で、祭礼は10月12日である。遠方が東京湾で、右側は大三角方面。今日はディズニーランド賑わっている。 また、この金魚池について、昭和44年(1979)に刊行された『浦安町誌』上(浦安町誌編纂委員会編)には、次のように記載されている。 金魚場 猫実の東京湾に面したところに、一万二〇〇〇坪(三万九六〇〇平方メートル)に及ぶ大きな金魚の養魚場がある。町の人はこの養魚場を、秋山の金魚池と呼んでいる。ここは初代、秋山吉五郎が、大正一一年に買い取って金魚の養殖を始めたものである。氏はそれまで東京市砂町で金魚の養殖をしていた。 明治末年頃、金魚が盛んにアメリカに向けて輸出されたが、当時アメリカ人は、一般に奇形的な形をした金魚を鑑賞して喜んでいた。とくにうちこぶをつけ、背びれのないランチュウのようなものや、リュウキンのようにまるくて尾の長い金魚が好まれた。吉五郎は、アメリカ人の好みを考え、アキニシキ(秋錦)をつくり出した。アキニシキは、容姿艶麗にして、水清き秋の池上に紅葉を散らしたような美しさであるところから、この名が付けられた。 このほか、キャリコ、シュウスイ、ブンキンなどの新種を次々とつくり出し、全国各地の品評会に出品し、数々の賞を獲得した。今日、秋山金魚場からは、毎年数十万匹の金魚が全国各地に出荷され、関東一の金魚の養殖場として、その名が高い。 |
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